令和時代の「高年齢者労働災害防止」とは?|2月10日公示「新指針」から読み解く、人材定着と安全経営の最適解
「長年勤めてくれているベテランのAさん(68歳)が、工場のほんの小さな段差でつまずいて骨折してしまった」 「介護の現場で頼りにしていたパートのBさん(72歳)が、利用者を支えようとして腰を痛め、長期離脱することになった」
もし、あなたの事業所でこのような事態が起きたらどうなるでしょうか。貴重な戦力を失うだけでなく、代替要員の確保、労災対応、そして何より「職場全体の士気の低下」という見えないコストが発生します。
令和8年2月10日、厚生労働省は「高年齢者の労働災害防止のための指針」を公示しました
【参考サイト】厚生労働省「「高年齢者の労働災害防止のための指針」について (公示)」
【参考資料】高年齢者の労働災害防止のための指針(高年齢者の労働災害防止のための指針公示第1号)
経営トップが決断すべき「最初の一歩」
今回の指針で特筆すべきは、まず最初に「経営トップによる方針表明」が求められている点です。安全対策を現場任せや安全担当者任せにしてはいけません。
「安全衛生方針」への明記
指針では、経営トップ自らが姿勢を示し、企業全体の安全意識を高めるために、高年齢者の労災防止対策を盛り込んだ「安全衛生方針」を表明することを求めています。
具体的には、以下のようなアクションが必要です。
- 方針の表明: 「年齢にかかわらず、誰もが健康に安心して働ける職場をつくる」と宣言すること。
- 体制の明確化: その方針に基づき、担当する組織や担当者を指定すること。
中小規模の事業場であれば、人事労務管理部門が担当することも想定されています。また、産業医や保健師、あるいは地域産業保健センターなどの外部リソースを活用し、専門的な知見を取り入れることも推奨されています。
労使での「対話」が鍵
トップダウンだけでは現場は動きません。
- 安全衛生委員会等での審議: 委員会を設置している事業場では、高年齢者対策を議題として取り上げましょう。
- 労使の話し合い: 委員会がない小規模事業場でも、労働者の意見を聴く機会を設け、労使で話し合うことが求められています。
重要なのは、「高年齢者が孤立することなく、何でも話せる風通しの良い職場風土」を作ることではないでしょうか。
自身の不調や、ヒヤリとした体験を相談できる企業内相談窓口の設置も有効な手段の一つです。
現場に潜む「見えない罠」を洗い出す(リスクアセスメント)
「リスクアセスメント」と聞くと、製造業や建設業のような大掛かりな分析をイメージされるかもしれません。しかし、今回の指針では、小売・サービス・福祉の現場でも無理なく導入できる「現実的なアプローチ」が提示されています。
行き当たりばったりはNG!「年間計画」でPDCAを回す
安全対策は一過性のイベントではありません。指針では、以下のサイクルを回すことが望ましいとされています 。
- Plan(計画): 年間推進計画を策定する。
- Do(実行): 計画に沿って対策を実施する。
- Check(評価): 一定期間で取り組みを評価する。
- Act(改善): 必要な改善を行う。
労働安全衛生マネジメントシステムを既に導入している事業場では、労働安全衛生方針の中に「年齢にかかわらず健康に安心して働ける」といった文言を明記し、組織全体でコミットメントを示しましょう 。
サービス業・介護現場特有の「盲点」と「始め方」
小売業、飲食店、社会福祉施設など、リスクアセスメントが定着していない業種では、何から手をつければよいのでしょうか。指針は「現場の声」と「他社の事例」を起点にすることを推奨しています 。
- 「聴く」仕組みを作る: 労働者から職場環境改善に関する意見を聴く仕組みを作りましょう。「負担の大きい作業はないか?」「危険だと感じる場所はないか?」「作業フローに無理はないか?」といった現場の課題を洗い出すことが、リスクアセスメントの第一歩です 。
- 「家庭と同じ」という最大の罠: 第三次産業(特に飲食店や介護施設)で事故が減らない理由の一つに、「家庭生活と同種の作業(料理、掃除、洗濯など)を行うため、危険を認識しにくい」という点があります 。しかし、業務としての「頻度」や「環境」は家庭とは全く異なります。家庭生活とは異なるプロ特有のリスクが潜んでいることを、強く認識する必要があります 。
「フレイル」「ロコモ」を想定内にする
リスクの洗い出しを行う際は、高年齢者の特性をリアルに想定する必要があります。
単に「体力が落ちている」という認識だけでなく、「フレイル(虚弱)」や「ロコモティブシンドローム(運動器症候群)」といった医学的な視点も考慮に入れ、リスクを見積もる必要があります 。健康状況や体力の低下を前提としたアセスメントが、事故防止の精度を高めます 。
「宝の山」を活用する(ヒヤリハットと相乗効果)
ゼロから新しい仕組みを作る必要はありません。今あるものを最大限に活用しましょう。
利用者向けのヒヤリハットを転用する
社会福祉施設等では、利用者様の事故防止のために「ヒヤリハット事例」を収集しているはずです。この仕組みを、職員の労働災害防止にも活用しない手はありません 。「利用者が転びそうになった場所」は、すなわち「職員も転びやすい場所」です。
「改善」×「教育」の掛け算
職場環境を改善するだけでは片手落ちです。ハード面の対策と安全衛生教育を組み合わせて行うことで、労働災害防止の効果は飛躍的に高まります 。
優先順位をつけた対策の実行
リスクアセスメントの結果を踏まえ、以下の優先順位で対策を検討・実施します 。
- 除去・低減: 危険な作業そのものを廃止・変更する(設計段階からの対策) 。
- 工学的対策: 手すりの設置、段差の解消など 。
- 管理的対策: マニュアルの整備など 。
- 個人用装備: 身体負荷を軽減する装備の使用など 。
高年齢者の安全と健康確保のための「職場改善ツール」なども公開されていますので、これらを活用するのも有効な手段です 。
今すぐできる「ハード(設備)」の改善策
指針では、身体機能が低下した高年齢者でも安全に働けるよう、具体的な設備改善の例が挙げられています。これらは、決して高額な投資ばかりではありません。
「目」と「耳」への配慮
加齢により、視力や聴力、明暗順応の能力は低下します。
照度の確保: 通路や作業場所を明るくし、明暗の差(トンネル効果のような状態)をなくす。
「音」の工夫: 警報音は、高音ではなく**「中低音域」**を採用する。指向性スピーカーや、パトライト等の視覚的な警告機器も併用する。
「足元」の安全確保
転倒災害を防ぐための基本です。
段差と滑り: 階段への手すり設置、段差の解消。床や通路には防滑素材(シート等)を採用し、防滑靴を使用させる。
清掃の徹底: 滑りの原因となる水や油は、放置せずこまめに清掃する。
どうしても段差が消せない場合: 安全標識や掲示で、ハッキリと注意喚起を行う。
暑熱・重量物・介護作業への対応
熱中症対策: 高年齢者は「暑さ」や「喉の渇き」を感じにくくなっています。涼しい休憩場所の整備、通気性の良い服装、ウェアラブルデバイスでの体調管理が推奨されます。
重量物対策: アシストスーツや補助機器の導入。作業台の高さを調整し、不自然な姿勢を解消する。
介護作業: リフト、スライディングシート等を導入し、「抱え上げ作業」そのものを抑制する。
情報機器(IT)作業への対応
パソコン作業等では、照明や文字サイズの調整、適切な眼鏡の使用を促し、視環境を整えることが求められます。
無理なく働き続けるための「ソフト(管理)」の知恵
設備投資には限界がありますが、運用ルールの変更は明日からでも可能です。
「スピード」と「マルチタスク」の罠
指針では、高年齢者の特性(敏捷性、認知機能の低下など)を考慮した作業管理を求めています。
マニュアルの改定: ゆとりのある作業スピード、無理のない作業姿勢でできる手順に見直す。
マルチタスクの回避: 複数の作業を同時進行させたり、瞬時の優先順位判断が必要な業務は、高年齢者の負担となりミスや事故を誘発します。これらの負担を考慮した業務配分が必要です。
勤務形態の工夫
- 短時間勤務、隔日勤務、交替制勤務など、体調に合わせた働き方を導入する。
- 定期的な休憩や、作業休止時間を設ける。
- 水分補給の推奨: 脱水症状を防ぐため、喉が渇いていなくても意識的に水を飲むよう指導する。
高年齢者の健康や体力の状況の把握
今回の指針で非常に重要なのが、「体力の状況の把握」です。
「年寄り扱いするな」と反発されることを恐れず、客観的なデータに基づいた配置を行うことが、結果として従業員を守ります。
「客観的」に自分を知る~体力状況の把握
事業者と高年齢者双方が、体力の状況を把握する必要があります。
- フレイルチェック: 加齢による心身の衰えをチェックする。
- 身体機能セルフチェック: 転倒リスクなどを確認するオンラインツールや質問紙を活用する。
- 事業場独自の基準: 安全作業に必要な体力を定量的に測定するルールを、安全衛生委員会等で審議して構築する。
健康情報の取扱いについて~プライバシーへの配慮
体力データはセンシティブな情報です。
- 目的の説明: 「不利益な扱いをするためではなく、安全に働くため」という目的を丁寧に説明し、同意を得る。
- 情報の保護: 医師等の意見を報告する際は、個人が特定されないよう加工するなど、「労働者の心身の状態に関する情報の適正な取扱いのために事業者が講ずべき措置に関する指針」を踏まえた対応が必須です。
教育こそが最強の安全装置|安全衛生教育
最後に、教育(研修)についてです。
「昔からやっているから分かっているはず」という思い込みは捨てましょう。
「伝わる」教育へ~高年齢者向けの教育とは
- 視覚情報の活用: 文字だけのマニュアルではなく、写真、図、映像を活用する。
- 時間の確保: 若手以上に十分な時間をかけ、特に再雇用などで「経験のない業務」に就く場合は、極めて丁寧な教育訓練を行う。
意識改革と新しい技術
- 危険感受性の向上: 危険予知訓練(KYT)や、VR技術を活用した危険体感教育を取り入れる。
- 「気づき」の教育: わずかな段差や、慣れた軽作業にもリスクがあることを周知徹底する。
- チームビルディング: ITに詳しい若手と、現場経験豊富なベテランがチームを組み、相互に補完し合う体制を作る。
管理監督者への教育
現場を管理するリーダー層に対しても、教育が必要です。
- 加齢に伴うリスクの理解。
- 高年齢者を支援する機器や装具に実際に触れる機会を設ける。
- 緊急時(脳・心臓疾患の発症など)に対応できるよう、救命講習を実施する。
当事務所の見解|法令順守を超えた「サステナブルな組織づくり」へ
ここまで、公示されたばかりの「高年齢者の労働災害防止のための指針」について解説してきました。
最後に、数多くの中小企業や介護福祉事業所のご支援をさせていただいている当事務所としての見解を述べさせていただきます。
この指針を、「守らなければならない新しいルールが増えた」と捉えるか、「組織を強くするチャンス」と捉えるかで、数年後の企業の姿は大きく変わるでしょう。
「安全」は最大の「採用ブランディング」である
人手不足の今、高年齢者の雇用は避けて通れません。しかし、求職者は「安全に働けるか」「体を壊さないか」をシビアに見ています。「当施設はリフトを完備し、体力に合わせた業務配分を行っています」「防滑フロアを導入しています」と胸を張って言えることは、高年齢者だけでなく、将来の自分たちの姿を重ねる若手層に対しても強力なアピールになります。
労働災害防止は「品質管理」そのものである
指針にある「ゆとりのある作業スピード」や「マルチタスクの回避」 は、一見すると生産性を下げるように見えるかもしれません。
しかし、焦りや無理な姿勢は、事故だけでなく、業務上のミスやサービス品質の低下(介護事故や製品不良)に直結します。高年齢者の特性に合わせた業務設計を行うことは、結果として業務プロセス全体の無理・無駄を省き、安定したサービス提供につながります。
「対話」のきっかけとしての活用
本指針では、リスクアセスメントや体力チェックの導入にあたり、労使での話し合いを強く推奨しています 。
これを機に、職員一人ひとりがどのような不安を感じているか、どこに負担を感じているかをヒアリングしてみてください。現場の小さな「困った」を解消していくプロセスこそが、風通しの良い職場風土を作り、離職率の低下に寄与します。
未来への投資
以前、ある介護施設の理事長様から「長年勤めてくれている70代の職員、Aさんのことで相談がある」と連絡をいただきました。
Aさんは利用者様からの信頼も厚く、施設の精神的な支柱のような存在でした。しかし、最近足腰が弱り、移乗介助の際にヒヤッとする場面が増えていたそうです。「Aさんには辞めてほしくない。でも、もし事故が起きて、Aさんが怪我をしたり、利用者様を巻き込んでしまったら…」理事長様は、そんなジレンマに苦しんでおられました。
そこで当事務所では、「高年齢者の特性に配慮した業務の切り出し」を現場の方々を交えて一緒に行いました。
Aさんには身体的負担の大きい入浴・移乗介助から外れていただき、その分、利用者様の話し相手や食事の見守り、そして若手職員へのマナー指導に専念してもらうことにしました。同時に、施設内の段差には目立つ色のテープを貼り、休憩室には足を伸ばせるスペースを確保しました。
結果、Aさんが生き生きと働き続けられたのはもちろんですが、意外な波及効果がありました。
若手職員たちが「ここは年をとっても大切にしてくれる職場なんだ」と感じ、離職率が目に見えて下がったのです。
さらに、Aさんが若手のメンター役となることで、組織全体のケアの質まで向上しました。
こういった経験から、今回公示された「高年齢者の労働災害防止のための指針」は、単なる「守るべきルール」や「コスト増の要因」ではなく、「人を大切にする経営」を可視化するためのツールではないかと考えています。
「安全対策」というと、何か大掛かりな設備投資をイメージされるかもしれません。
しかし、現場の声を聴き、薄暗い廊下の電球を一つ明るいものに変えること、重い荷物を小分けにするルールを作ること、そんな小さな「配慮」の積み重ねが、労働災害を防ぎ、結果として企業のブランド価値を高めます。
「安全」は、最強の「採用戦略」であり、「定着戦略」です。
「何から始めればいいかわからない」「現場の抵抗が心配だ」
そんな時は、ぜひ当事務所にご相談ください。法令の枠組みを超えて、御社の現場に即した「温かく、強い組織づくり」を、当事務所が全力でサポートいたします。
高年齢者が安全に働ける職場は、あらゆる人にとって安全で働きやすい職場です。
今回の指針対応を単なるコストではなく、将来にわたって人材を確保し続けるための「投資」と捉えてください。
当事務所では、この新しい指針に基づいた就業規則の改定、安全衛生管理体制の構築、そして現場の実情に合わせた「高齢者向け安全教育」のカリキュラム作成まで、トータルでサポートいたします。
「ウチの現場では具体的に何をすればいいの?」とお悩みの方は、ぜひ一度ご相談ください。御社の実情に合わせた、最適解を共に考えましょう。
【参考サイト】厚生労働省「「高年齢者の労働災害防止のための指針」について (公示)」
【参考資料】高年齢者の労働災害防止のための指針(高年齢者の労働災害防止のための指針公示第1号)







