「助ける」とは何か|エドガー・シャインに学ぶ、介護・福祉の職場における信頼と定着

「支援って、結局どこまでやれば“助けた”ことになるんでしょうか?」

これは、ある介護施設で中堅リーダーを務める職員がふとこぼした言葉です。
その時、私は何もすぐには答えられませんでした。制度的なことならいくらでも語れる。でも、その問いはもっと深いところに根ざしていたのです。

なぜなら「助ける」とは、技術や制度の話ではなく、人と人との関係性そのものを問う言葉だからです。

キャリアアンカー理論との出会い|「自分は何者か」を問う3つの問い

私が初めてエドガー・シャインの理論に触れたのは、キャリアコンサルタントを目指していた時期でした。
当時、指導教官から渡された資料のなかに、シャインのキャリアアンカー理論がありました。

その理論の核心は、とてもシンプルな3つの問いです。

  1. 自分はいったい何が得意なのか(コンピタンス)
  2. 自分は何をやりたいのか(動機)
  3. 何をやっている自分に意味や価値を感じるのか(価値観)

この3つの問いは、働く人が「自分にとって仕事とは何か」を見つめるためのアンカー、つまり“いかり”のようなものです。どれほど海が荒れていても、自分のキャリアを支えてくれる“根っこ”がここにあります。

事例:意味を問う新人職員の「やめたい」の真意

ある特別養護老人ホームで働いていた20代の女性職員がいました。介護職は未経験で、真面目に取り組んでいましたが、ある日突然「退職を考えています」と申し出てきたのです。

面談では「人間関係が合わない」「夜勤がしんどい」と話していましたが、深く話を聞いていくと、こんな言葉がこぼれました。

「私、この仕事に“意味”を感じたくて来たんです。けど、1日に何人こなしたか、時間を短縮できたか、ばかりが評価されて、何のためにやってるのか分からなくなって……」

彼女にとってのアンカーは「価値観」でした。
「自分が大切にしたいこと」と「職場が求めること」がズレていたのです。

キャリアアンカーの8類型と、介護・福祉現場との接点

シャインはキャリアアンカーをさらに8つに分類しています。

分類概要現場での該当者イメージ
専門・職能志向自分の専門スキルで貢献したいケアマネ、看護師、PT・OTなど
全般管理志向組織運営やマネジメントを担いたい施設長、事務長候補者
自律・独立志向指示されずに自分のペースで働きたいフリーランス訪問介護者など
安定志向安定収入と生活リズムを重視したい主婦層や子育て中の職員
起業志向自分で事業を立ち上げたい新規開設を目指す職員
奉仕・社会貢献志向人の役に立ちたい高齢者・障害者支援に熱意ある職員
純粋な挑戦志向困難を乗り越える達成感を得たい難ケース対応が得意な職員
生活様式志向仕事と私生活のバランスを重視したい子育て・介護と両立して働く人

ですが、管理職側はしばしば「全般管理志向」や「挑戦志向」で動いているため、上司と部下でキャリア観が食い違うことが少なくありません。

事例:価値観のズレを埋めた面談の一言

ある通所介護の現場で、40代のベテラン職員が「異動命令を受けたら辞める」と周囲に漏らしていました。理由は「今の場所に思い入れがあるから」とのこと。

管理者が「1 on 1面談」でこう尋ねました。

「あなたがこの仕事でいちばん“大切にしてること”って、何ですか?」

彼女は涙を浮かべながらこう答えました。

「“今日も会えてよかった”って利用者さんに言ってもらう、その一言が嬉しいんです。あれが、私のやりがいなんです」

異動は見送られました。代わりに、今の現場で「新人育成係」としてのポジションが新設され、彼女は再び笑顔を取り戻しました。
これはまさに、キャリアアンカーの再確認と再設計による定着成功の事例でした。

「助けること」を再定義する7つの原則|現場で信頼を育てるための実践とヒント

ここまでキャリアの“内面”に焦点を当ててきましたが、では実際に現場で「支援」や「助け合い」を行うとき、どのような関係性が求められるのでしょうか。

その問いに対する深い洞察を与えてくれるのが、エドガー・シャイン氏のもう一つの重要な著作『人を助けるとはどういうことか――本当の「協力関係」をつくる7つの原則』(原題:Helping: How to Offer, Give, and Receive Help)です。

この書籍の中でシャイン氏は、「助けるとは、単なる技術の問題ではなく、関係性の質そのものの問題である」と強調し、真の支援関係を築くために不可欠な7つの原則を提示しています。彼は、「支援という行為は、受け取る側との関係性がすべてを決定する」と繰り返し述べています。介護・福祉の現場をはじめ、あらゆる組織や人間関係において、この視点は極めて重要です。 ここでは、シャイン氏が提唱した7つの原則を、実際の施設での取り組み事例を交えながらご紹介します。

原則1:与える側も受けれれう側も用意ができているとき、効果的な支援が生じる

シャイン氏によれば、助けが最も効果を発揮するのは、助ける側も助けられる側も、その相互作用に対して心の準備ができている状態のときです。支援者は感情的に支援を提供する意思があり、受ける側も援助を受け入れることに前向きである必要があります。この「準備」が、押し付けや反発のない、実りある支援の前提となります。

事例 マニュアルより「顔の見える関係」を:東京都内の小規模多機能施設では、新人研修を「講義スタイル」で行っていたものの、定着率が芳しくありませんでした。「制度やマニュアルは整っているのに、なぜ?」と考えた施設長は、研修初日に「名前を呼び合うお茶会」を企画。指導担当者と新人が対等な立場で話し合い、お互いの“人柄”を知り、安心して関われる「準備」の時間を設けました。すると、新人職員から「最初から安心して相談できる空気があった」との声が寄せられ、半年後の離職率は半減。まずはお互いを知り、信頼関係の土壌を整えるという「準備」がいかに大切かを示唆する事例です。

原則2:支援関係が公平なものと見なされたとき、効果的な支援が生まれる

支援は、関わる双方が互いに尊重され、対等だと感じられるときに最も効果的になります。支援者は、相手に劣等感を抱かせないように配慮し、支援を受ける側も、何が助けになり、何がそうでないかについて、気兼ねなくフィードバックできる関係性が理想です。この対等性の認識が、健全な支援関係の基盤となります。

事例 「質問できる関係」が育てる主体性:ある障害者支援施設では、若手職員が「困っても先輩に聞けない」と感じていました。これは、無意識の上下関係や心理的な壁が「対等性」を損ねていた可能性があります。そこで施設長は、“質問タイム”を日報に設け、リーダー職員には「“答え”を出さず、一緒に考える」姿勢を求めました。これにより、若手職員も安心して自分の状態や疑問を表明でき、共に考えるパートナーとしての関係性が育まれました。1年後、この仕組みは新人職員の主体性を育み、「聞けない文化」が「一緒に考える文化」へと変化しました。これは、対等な関係性の中でこそ、人が安心して学び、成長できることを示しています。

原則3:支援者が適切な支援を果たしているとき、支援は効果的に行われる

支援者は、どのような種類の助けが必要なのかを勝手に思い込んではいけません。シャイン氏は、自身の役割を明確にし、その支援が依然として適切かどうかを定期的に確認する必要性を説いています。同様に、支援を受ける側も、もし助けがもはや役に立たなくなった場合には、それを伝えることが推奨されます。

事例 その支援、本当に“今”必要ですか?:例えば、介護現場で新しい技術を導入する際、管理者が一方的に「これが良いはずだ」と進めるのではなく、現場の職員が「今、何に困っていて、どんなサポートがあれば助かるか」を丁寧に聞き取り、そのニーズに合った役割(情報提供、研修機会の提供、精神的サポートなど)を担うことが重要です。役割のミスマッチは、善意の支援であっても効果を生まないばかりか、負担となることさえあります。

原則4:あなたの言動全てが、人間関係の将来を決定づける介入である

支援者が発する言葉や取る行動のすべてが、支援関係に影響を及ぼします。したがって、双方が自身の言動に注意を払い、信頼を強化し、判断や不適切な修正を最小限に抑えることを目指すべきです。何気ない一言や態度も、相手にとっては重要な意味を持つ「介入」となり得るのです。

事例 “しっぱい共有会”が育てた安心感:ある通所リハビリ施設では、月1回の職員会議の終わりに「今月の失敗報告」という時間をつくりました。「連絡帳に昼食時間を間違えて書いてしまった」など、失敗を語り合うこの「行動」は、個人のミスを責めるのではなく、組織として学び合うというポジティブな「介入」となりました。
この時間を続けることで、新人も自らミスを報告しやすくなり、「隠さなくていい」という安心感が職場に広がりました。これは、失敗を共有するという行動が、信頼関係の醸成にどう影響するかを示しています。

原則5:効果的な支援は純粋な問いかけとともに始まる

支援のプロセスは、オープンで誠実な問いかけから始めるべきです。シャイン氏は、支援者はあらゆる要求をユニークなものとして捉え、思い込みを避け、解決策を提示する前に相手の視点を完全に理解しよう努めるべきだと述べています。まず「知ろうとする姿勢」が大切です。

事例 「辞めたい」の裏にある、本当の声を聴くために:例えば、職員が「辞めたい」と漏らした時、すぐに引き止め策を講じるのではなく、「そう感じる背景には何があるのだろう?」「今、何に一番困っているのだろう?」と、判断を保留し、純粋な関心を持って問いかけ、耳を傾けることが第一歩です。これにより、表面的な問題の奥にある本質的な課題が見えてくることがあります。

原則6:問題を抱えている当事者はクライアントである

支援を求めている人が、その問題の最終的な所有権を持っています。シャイン氏は、支援者が問題を肩代わりしたり、問題の内容に過度に関与しすぎたりすることを避け、解決の最終責任は支援を受ける側にあることを忘れてはならないと注意を促しています。

事例 「頑張らせる」ことが支援になった夜勤の話:あるグループホームで、新人職員が初めての夜勤に不安を感じていました。当初、先輩は「何かあったらすぐ電話してね」と、ある意味で問題解決を肩代わりするような姿勢でした。しかし、新人の成長を促すため、先輩は関わり方を変え、「今日はどんなことがあって、どう対応した?」と問いかけ、新人が自分で考え、行動を振り返ることを支援しました。これにより、新人は「自分の問題」として夜勤業務に取り組み、自信を深めました。これは、支援者が問題の所有権を相手に委ねることで、相手の自律性を育んだ好例です。

原則7:すべての答えを得ることはできない

支援者は自身の限界を認識し、問題解決の責任を分かち合う意欲を持つべきです。このような謙虚さが、協力関係と相互尊重を育むとシャイン氏は述べています。支援者自身も完璧ではないことを認める姿勢が、より良い支援関係につながります。

事例 「ベテランだから大丈夫」という幻想の裏側で:ある10年目の介護福祉士が体調を崩して休職し、復帰しました。しかし「ベテランだから大丈夫」という周囲の思い込みと、本人も助けを求めにくい雰囲気から、孤立感を深めてしまいました。この事例は、支援する側(この場合は周囲の同僚や上司)が「相手のことは分かっている」「自分たちには十分な支援ができる」と思い込んでしまうことの危うさを示しています。支援者も「全ての答えを持っているわけではない」と自覚し、相手の状況や変化に常に注意を払い、対話を続けることの重要性を示唆しています。この出来事を機に、施設が支援関係を見直す対話を取り入れたのは、この原則に立ち返る動きと言えるでしょう。

最後に:定着とは、「この人と働きたい」と思える関係をつくること

ここまで紹介した事例や理論に共通していることは、制度よりも関係性が人を支えるということです。
処遇改善や福利厚生はもちろん大切です。
しかし、人が辞める・残るを決めるのは、多くの場合、次のような小さな感覚です。

  • 困ったときに「助けて」と言える
  • 自分の価値観が尊重されている
  • 間違いを笑われずに受け入れてもらえる
  • 誰かに必要とされていると感じる

それらを可能にするのは、信頼の文化です。
エドガー・シャインが言うように、支援とは「築くもの」であり、「相手とともに成長するもの」なのです。

組織で取り組むための3つのヒント

  1. キャリアアンカーを使った対話の場を定期的に設ける
    →「最近、どんな瞬間に“やりがい”を感じましたか?」という問いかけから始めてみましょう。
  2. 「支援の原則」研修を管理職に導入する
    → シャインの7原則をもとにしたロールプレイ型研修がおすすめです。
  3. 心理的安全性を測るミニアンケートを導入する
    →「わからないことを聞きやすい雰囲気があるか」など、空気の質を“見える化”します。

助け合いの文化は、「制度」ではなく「日々のまなざし」から

人を助けるとは何か・・・その問いに、私たちはいつも向き合っています。
介護・福祉の現場において、制度や給与、勤務形態といった外的要因だけでは、人は長くとどまりません。
「この場所で、誰かとつながれている」
「自分の弱さも、想いも、ちゃんと受け止めてもらえる」
そんな実感があるからこそ、人はそこに「働く理由」を見出します。

離職防止を図る上で、制度面の整備ももちろん大切ですが、それと同じくらいに、現場で育まれる人と人との関係性=文化をどう耕していくかが問われています。

私自身、かつてキャリアコンサルタントとしての学びを深めていたとき、エドガー・シャインの理論に出会い、「助けるとは何か」「人はなぜ働くのか」といった問いを、深く考えるようになりました。

キャリアアンカーの3つの問い―「何が得意か」「何をやりたいか」「何に意味を感じるか」。
そして、『人を助けるとはどういうことか』に示された、信頼に基づく支援関係の7つの原則。
これらは、組織運営や職員定着を考えるうえでも、大きな示唆を与えてくれます。

当事務所では、こうした視点もふまえながら、制度や規程の整備にとどまらない“関係性の質”を意識したご相談対応を行っております。
「職員の離職が続いているが、原因がはっきりしない」
「制度はあるのに、うまく活用されていない」
「支援したいが、かえって職員が離れていく気がする」

そんな現場の“もやもや”を言語化し、必要であれば制度設計や現場との接続も視野に入れてサポートいたします。

組織を変えるのは、いつも人です。
そして、人の関係性を育てるのも、また人です。

「制度」ではなく、「関係性の再設計」から始めてみたい。
そう思われたときは、どうぞお気軽にご相談ください。じっくりと、お話を聴かせていただきます。

それが、当事務所の“助ける”の第一歩だと考えています。

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